演奏の圧倒的な熱量が、ホールに満ちていく

2番手の、東京交響楽団の首席クラリネット奏者・吉野亜希菜が登場したとき、ようやく拍手が起こった。

3年前、自宅の狭い防音室の中で吉野が孤独に演奏した姿は、多くの視聴者の涙を誘った。それは、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」から「花のワルツ」だった。元々、様々な楽器がメロディを次々受け渡していくフルオーケストラの曲を、吉野はたった一人だけで必死にすべてのパートにわたって演奏をし続けるのだった。

5分のその曲を、今度は数千人もの観客の前で披露していく。

間断なくひたすら吹き続けていく吉野が、わずかな時間で思い切り息を吸い込む音が、舞台袖まで聴こえてくる。演奏の圧倒的な熱量が、ホールに満ちていく。

実は、コロナ禍のさなかに亡くなった自身の父への想いを込めての演奏でもあった。

3曲目。広田が上手の客席の一番前に登場した。そして、むせび泣くような美しいオーボエの音色で、グノーの「アヴェ・マリア」を奏でていく。

すると。2番になった時、今度は客席下手側から、同じ音が重なってきた。

フルートだ。

東京フィルの首席奏者・神田勇哉が、広田とユニゾンの音で一つになっていく。

外出自粛の3年前、孤独に奏でられていた音にも、きっとどこか遠くで、誰かが人知れず音色を重ねていたに違いない。そんな想いをこめた、二人の「アヴェ・マリア」だった。