わたしが最後に見た母の姿

そんなこんなで1週間が過ぎ、一時退院を終えて母がホスピスに戻る前の日に、わたしは英国に発った。迎えのタクシーが実家に到着したとき、母が寝ていた部屋に行き、

「じゃあ、わたしは帰るね」

と挨拶をした。

「はい」

と母は他人行儀に言った。わたしが自分の娘で、これから英国に帰るのだということは、認知症の母にはわかっていなかった。たぶん彼女の中では、わたしは出たり入ったりする訪問看護師さんたちの一人だったのだろう。外でタクシーを待たせていたので、「じゃあね」と手を振り、部屋から出ようとすると母が布団の中から手を出そうとしている。手を振り返してくれるのかな、と思って立ち止まると、そうではなかった。

母は、一所懸命に伸ばした右手の指を折って、「2番」の動作をしようとしていた。

自分の娘だとわからなくとも、しつこくカウントダウンした陽気な訪問看護師として記憶されるなら本望だと思った。そして、もしこれが生きている母と会う最後の瞬間になるとしたら、これ以上の別れのシーンがあるだろうかとも。

「2番」の指の形はピースサインでもあるからだ。

わたしは笑いながら部屋を出た。そしてそれは本当に、わたしが最後に見た母の姿になったのだった。