イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「カウントダウン」。末期がんの母は重度の嚥下障害で、あらゆる飲み物と食べ物にとろみをつけた「嚥下食」を作り食べさせているのだが――。(絵=平松麻)

母の「嚥下障害」

「嚥下」「誤嚥」「嚥下障害」。半世紀以上も生きてきた人間にもまだ知らない言葉があったか、と驚いたのは、母の介護のため年末に日本に帰ったときだった。

「嚥下」というのは、食物や飲料を飲み込むこと。「誤嚥」というのは、その嚥下を行うための筋力が落ちたため、誤って気管に入ってしまうことらしい。そして、「嚥下障害」というのは、口の中のものを飲み込む過程が正常に機能しなくなり、そのような「誤嚥」を起こしやすくなる状態を指す。

末期がんの母は重度の嚥下障害で、水でさえそのまま飲むと誤嚥する危険性があった。だから、あらゆる飲み物と食べ物にとろみをつけて「嚥下食」を作らなければいけない。

病院で講習を受けてきた妹は、どろどろのベビーフード状にした食事にとろみ剤を入れてかきまぜ、手早く食事の準備をしてゆく。が、できあがった嚥下食の数々は、はっきり言ってあまり美味しそうに見えない。

そのせいか母が嫌がって食べないので、妹はとろとろになった嚥下食を型抜きに入れて冷蔵庫で冷やし、コロッケっぽい形や魚っぽい形に演出したりして見た目に凝りだした。人間の食欲には見た目が大きく影響するからだ。

妹が嚥下食作りを担当すれば、母親に食べさせるのはわたしの担当だった。食事を嫌がる幼児たちに食べさせてきた百戦錬磨の元保育士である。「ほーら、美味しそうだよー。見て、これコロッケ。ちゃんとそういう形になってるやろ、すごいねー」とか言って大騒ぎしながら食事をスプーンに取り、「はい、あーんって大きくお口が開けられますかー」と陽気な圧をかけ、ノリで口を開けてしまった母の口内に食べ物を入れる。