アスリートとして現役を退いたあと、増田明美さんと松岡修造さんはメディアを通じてさまざまな競技の魅力を伝えてきた。細部にわたる取材や熱血インタビューも、選手にたくさんの声援を届けたいから。その思いはいつしかスポーツを超え、「誰かを応援したい」という2人のいまの生き方に繋がっている(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内禎)
言葉の持つ力は大きい
増田 修造さんは小学校から慶應という一貫校にいたのに、高校2年生のとき、テニスの強豪校である柳川高校に転入しましたよね。
松岡 当時、柳川高校のテニス部は非常に厳しい指導で知られていたので。
増田 強くなりたくても、なかなかできる決心じゃないですよ。
松岡 ただ、僕のなかではどちらかというと逃げたんです。慶應義塾にいて、約束された道があって、自分の弱さから麻雀にハマったりして、当時の僕の生活はとてもたるんでいましたから。だってそこに身を置いたら、やらざるをえないでしょう。
増田 あえて、厳しい環境に変えることを選んだ。
松岡 言われたとおりに頑張ればいいというのは、ある意味ラクです。アメリカでも指導を受けましたが、向こうでは自分が何をすべきか、何をしたいかを考え、自分から表現しなくてはいけない。それはキツイですよ。そもそも僕、こう見えて考え方がネガティブなので。
増田 うそ! まったく、そんなふうに見えない。(笑)
松岡 そのかわり、ネガティブな感情をどうポジティブに転換するかはずっと学んできました。
増田 長友さんと一緒ね。私はウルトラポジティブ(笑)。でも最初からこんなにポジティブだったわけじゃないんですよ。特にオリンピックで途中棄権したあとは最悪でした。時代が時代なだけに非難めいた記事を書かれ、帰国した成田空港では「非国民!」と指を指されて。みんながそう思っている気がして、3ヵ月くらい家から出られませんでしたね。シャボン玉みたいに消えてしまいたい、と毎日考えていました。
松岡 その苦しい状況から、どうやって〈卒業〉したんですか。