大相撲には「相撲の美学」がある
ところで、大相撲は言葉の面でも変わりつつあると思う。
5日目、NHKテレビの向正面解説は、65歳の定年を迎える入間川親方(元関脇・栃司)だった。解説の中で「連(つら)相撲が多い」と言った。勝ちが続いたり、負けが続いたりすることで、東方や西方の力士だけが勝ち続ける時も使う。最近は「連勝」とか「連敗」とか言ってしまうので、「つら」は懐かしい言葉だ。他にもあまり聞かれなくなった言葉があり、「死に体(たい)」だ。これ以上相撲が取れない体勢のことで、死体発見で刑事が登場するドラマとは関係がない。「体(たい)がない」とも言う。
4日目、前頭9枚目・碧山と前頭11枚目・隆の勝の取組で物言いがつき、向正面解説の舞の海さんが、「碧山の踵が蛇の目に着くときに、隆の勝の体も流れて、死んでいますよね」と話していた。勝負の結果は、踵が土俵の外の土に先に着いたとして、碧山の負けとなった。最近は、土俵の外に体が跳んでいても、「体がない」が採用されず、土への着地優先になっている。
それとは別に、私は美しい日本語の表現に期待している。5日目、実況の吉田賢アナウンサーが、琴ノ若との対戦でクルクル動く翔猿を「ましらの如くよく動いた」と表現した。「ましら」は「猿」のこと。「四股名のように猿みたいによく動きました」では、つまらない。こういう表現をたくさん聞いて、大相撲から教養を深めたい。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の準々決勝ラウンド東京プールで、大谷選手が一球一球に声を出して闘志を込めて投球する姿に、私は「これぞ超プロだ。カッコイイ!」と感激した。しかし、大相撲の本場所の立ち合いで、相手に高速突進するために、「ウリャ~」と叫んだら、八角理事長に呼び出されて叱られるかもしれない。大相撲には「相撲の美学」があるのだとしみじみ感じた。