京都の息づかいが感じられる絶妙な間合いのエッセイ
著者の赤染晶子さんとは年齢が一つ違い、ともに関西出身。いつかお目にかかってみたかったが、芥川賞受賞後に残念ながら42歳で病没され、すでに故人である。
本書は没後に編まれた初めてのエッセイ集。ともかく冒頭に収められた表題作を読んでほしい。
「わたし」は勤務先の給湯室にいる。いきなり「わたしはここの新妻です」と自称する。一体何のこと?そのまま読み進めていく。いつしか新妻の「わたし」をガラス越しに眺めている気分になる。だんだんとガラスの仕切りが消えて、自分だけに語られているよう。「新妻」さん、ずっとそのまま話していて!
笑いやユーモアを端的に解説するのは、読む喜びを損ないそうで抵抗がある。ゆえに本書の解説は難しい。ひとつ言えるのは「面白い」と「鋭い」はよく似ているということ。
「北の国から」というエッセイ。同名の人気ドラマと共通するのは、北海道の話であること。北の国ではあまりの寒さで水道管の水が凍る。どんなにトイレに行きたくても水抜きの時間が必要だ。そこにお腹を下したサラリーマンが登場する。
「人は一人では生きられない」という使い古された言葉がこんなに心に沁みたことはない。畳みかけるような言葉のグルーヴと京都のイケズ精神がまじりあい、どんなに寒々しい場面でも、本当に寒い時も、妄想の何者かになることで人間は乗り越えていける、と妙に励まされた。
思い起こせば子どもの頃、「ごっこ」遊びでいろんな人物になりきって遊んだ。あの頃の方が今よりもずっと図太かった。
経済力やコミュニケーション能力など、生きるのに必要な力はあるけれど、妄想力や空想力が自分を救ってくれるのかもしれない。
ひとつひとつのエッセイは小さな日常から始まり、気づけば妄想の大海へと連れ出される。自由に妄想するのも才能がいる。赤染さんの次回作が読めないのが悲しい。