今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』(山本文緒 著/新潮社)。評者は女優で作家の中江有里さんです。

最期まで、書くことをやめなかった

ある日、がんを宣告された小説家が、最期の日々を綴った日記である。

正直読む覚悟が要った。私の母も著者と同じ病で逝ったからだ。多分思い出してしまう。著者は死を達観しているわけではない。「充実したいい人生だった」と振り返った後に「そんな簡単に割り切れるかボケ!」と神に毒づく心の緩急を客観視し、言葉で捉えていく。

この世を去る前にやっておかなければならないことがある。仕事場のマンションの解約、友人、知人とのお別れ、そして予定していた単行本と予定外の本書の出版を見届けようと作業に勤しむ。しかし自分自身を記した日記が出版されるその日を見ることはできない。

ところで私の母が何より心配したのは残していく父のことだった。著者もまた夫のことを思っている。タイトルのように、著者と夫とふたりで無人島に流された気持ちだったのだろう。

病が重ければ重いほど、周囲の人は遠慮して近づかなくなる。最期の日々はご家族で、と考えるからだろう。実際弱っていくと他者に会うのは難しくなる。患者は必然的に病気の内界で孤立する。加えて世はコロナ禍で会うことを躊躇する時期。でも著者は書くことで無人島から外界へとつながっていく。

こわごわと読み始め、途中何度も胸が詰まってページをめくれなくなった。母は著者のように書く人ではなかったから、その気持ちは想像するしかない。でも本書を通じて、死に向かっていった母の心にほんの少し触れたような気がした。

日記の最後、唐突に「王子」が登場する。医師や看護師たちの声の向こうに著者は「王子」の声を探す。そう、「王子」は夫のことなのだ。本書は、そばにずっと夫がいた最期の日々を綴った日記だ。