私の父のまわりでは、不倫は驚くようなことではなかった。自営業の男たちばかりだったが、お妾や愛人がいることは珍しくなく、父は平気でそういう話を私にした。

私は聞くたびに、「不倫の当人同士はどうでもいいけど、お金を貢いで本妻や子供に迷惑をかけるのだけはやめてほしい」と、父に言っていた。

私は10代の頃、父の知り合いの社長の豪邸に遊びに行ったことがある。後日、その社長は借金を残したまま愛人と逃げ、豪邸に暮らしていた奥さんと娘は、6畳一間のアパート暮らしになった。お嬢様学校と当時言われていた高校に通学していた娘は、今後どうなるのだろうかと、私はそれが心配だった。

小さな店のややこしい話もある。店をやっていた父親が亡くなり、母親と娘が店をどうするかと考えていた。すると従業員が「この店は僕がやります」と言い出した。その従業員は父親の隠し子だったのである。母親と娘は、ショックで寝込んでしまったという。

儲かっている商店の話もある。経営している社長が亡くなり、私の父が葬儀に出席したら社長のお妾が来てしまった。喪服のまま本妻とお妾がつかみ合いの喧嘩になった。喧嘩の仲裁に入った私の父は、女性二人に突き飛ばされ、転んでしまった。

葬儀のあと、父が本妻のところに行くと、「娘ふたりは妾がいるのを知った時から、父親への恨みで『一生結婚しない』と言っています」と話したそうだ。お妾は、既に社長から一店舗をもらい商いをしていたのである。

後日、お妾は父に会いに来て、「葬儀ではご迷惑をおかけしました。突き飛ばしたおわびです」と言い、三越本店で購入した高級ベルトをくれた。

父は「本妻は愚痴だけで何もくれなかった。心遣いは妾の方が上だな」と笑っていた。

お妾は「2号さん」と言われているが、「3号さん」「4号さん」までいる大金持ちもいた。

しかし、子供たちの多くは悲惨だった。本妻側と愛人側でのもめ事に、成人した子供が巻き込まれ、悲惨な騒ぎまで起きることがあった。

父親や母親の不倫を知り、登校拒否や不良になった子供たちもいた。