亡くなった人に、問い続けるしかない

父には介護が必要で、おむつを嫌がったため、母と兄は、1日30回以上、父を抱えてトイレに連れて行った。父は病床で愛人の名前を時々呼んだ。それでも母は「夫としてではなく、人間として介護をする」と言い続けた。

父が喉に食事を詰まらせた時は、兄が必死になって詰まったものを吐き出させた。父は兄を嫌っていたが、兄は父を嫌ってはいなかった。「息子のありがたみがわかったか!」と私は叫びたかった。自宅での介護は4年間続いた。

その後、父は難病専門の病院に入院した。看護師たちは必死に働いていたが、いつも人手不足だった。当時は、家族が痰の吸引、口腔清掃、経鼻経管栄養の栄養剤注入などをしていて、母は2年間毎日、それをしに通った。

日曜日に、母の妹が父の知り合いの女性とともに初めて見舞いに来た。4人部屋の病室に入ったとたんに、母の妹は「どうした、どうした」と大声を出して父に駆け寄り、布団から腕を出し、ひとさし指を天井に向けたままの父のその手を握った。

母は「体が硬直する病気だから、天井を差した指はこのまま動かないのよ」と言った。母方の親戚はみな父を「お兄さん」と呼んでいた。母の妹は、泣きそうな顔で「お兄さん、しっかりしてよ」と、手を握ったまま、何度も言い続けた。

しかし、父の知人は父に近づこうとせず、「怖いわ、怖いわ、怖いわ。帰りましょう」と言った。他の患者には、奥さんが来ていた。彼女たちの視線は、父の知人に向けられた。

母は私に「送っていきなさい。早く」と小声で言った。

母の妹は「姉ちゃん、がんばってね」と泣き顔で言い、父の知人とともに病室を出た。病院の廊下を歩きながら、母の妹は、私に病気について質問攻めをしたが、治療方法がないことを伝えるしかなかった。