父が亡くなった時、母は70歳だった。父の死後、母は私に一言も父の思い出を話さなくなった。それは何故か?私は働くことに忙しく、日々は過ぎて行き、92歳で母が亡くなり、しばらくしてから、父の衣服、介護用品などが、全て捨てずに押し入れにしまい込んであることが分かった。まるで封印してしまったかのようだった。

同じ押し入れに、父が集めるのを趣味にしていた旅の土産の通行手形73枚を捨てずにしまったのは何故か?そのうちの何枚かは、愛人との旅行だったことに母は気づいていたはずだ。

さらに、その押し入れに、父の親友の娘さんである秦野清美さん(仮名)の結婚式のアルバムを入れたのは何故か?母は夫の親友の秦野さんが不倫をしていて、その不倫を娘の清美さんが死ぬまで悩んでいたことを知っていた。母は自分の夫が生命保険会社の社員に化け、不倫相手の女性の家に行き、その女性の夫にばれないように、秘密のサインで連絡の手助けをしていたことも分かっていた。私が父から聞き出し、母に話したからだ。

清美さんは、父親の不倫に悩みながらも、父親の店で働いていた。近所に広がった父親の不倫の噂に神経質になったのか、近所の人には不愛想な接客をしていた彼女は、何故、私にだけ親切にしてくれたのだろうか?私の父も不倫をしていることを知っていて、同情してくれていたのだろうか?それとも、私の母の苦悩を察して、私にも親切にしてくれたのだろうか?

73枚の通行手形を捨てることにしたものの、燃やすゴミと燃やさないゴミの分別をしなくてはならない。通行手形の木材の部分と紐でつながった鈴の部分をハサミで切り離す作業は、過去との決別ではなく、清美さんと母へのたくさんの問いかけが生まれることだった。でも、答えを聞くことはできない。私は、ずっと問い続けるしかできないのだ。

次の日、私は出かける用事があり、駅に行った。電車が来るまで時間があった。

ホームの端に立ち、長く続く線路を眺めた。借金のために家を売り、引っ越したので、清美さんがいた街は遠い。ホームの端には人がいなかった。清美さんの命日がもうすぐ来る。

「清美さん。私の父は、不倫の連絡係をするなんて、あなたに大変申し訳ないことをいたしました。すいませんでした」と、私は小声で言って、遥かかなたの街の方向に向かって手を合わせた。遅すぎるおわびだった。