秀吉は「家」に対してドライ

一方、秀吉は家康に比べて「家」に対し、もっとドライだと思います。

小田原征伐の際には、兵を進めた秀吉の元に参上しなかったために、関東の小田氏、千葉氏らは所領を没収されることになりました。

蒲生氏郷が若くして亡くなったときは、東北を押さえる任務は子どもには務まらないから、と14歳の秀行の所領を92万石から1万石に減らそうとしました。これは流石に石田三成に激しく注意されたようです。

「大名たちは家を栄えさせようと必死に太閤殿下のために働いています。家の継承を否定するような人事をしたら、だれも忠義を尽くしません」。

それで秀吉はやむなく秀行への代替わりを認めますが、結局18万石まで所領を削っています。このあたり、武士の「家重視」、「継承の常識」が身についてないように思えます。

なお、家がまるっきり断絶すると、どんなことが起こるか。たとえば古文書がなくなってしまうため、我々歴史研究者は頭を抱えることになります。

「ああ、武田家が滅びなかったら、あれもこれも分かったのに」とか「江戸川区発祥でのちに戦国大名化した、鎌倉時代から続いた名門・葛西家を秀吉が潰さなかったら」などと考えてしまうのです。