家が継続されるということ

最後に1つ面白いエピソードを。大河ドラマではこれから描かれるかもしれませんが、家康の次男に秀康という人物がいます。

2代目将軍・秀忠の兄にあたりますが、彼は将軍を継げなかった。

家康に愛されなかったのか、秀吉の人質となり、やがて関東の名門である結城家を継いで、結城秀康を名乗ります。さらに関ヶ原の戦い後に越前68万石余の大大名になると、結城姓を捨て、松平を称するようになる。

この時、秀康は五男の直基に「おまえは結城の家の祭祀を担当するように」と命じ、結城家から受けついだ重宝を直基に譲渡しました。

直基は結城姓にはなりませんでしたが、父の命を守って祭祀を執り行いました。この家は前橋17万石の大名として明治維新を迎えることになるのですが、たぶん結城家のお祭りは継続していたに違いありません。それが「武士の家」というもの。

そして直基系松平家13代のご当主が松平基則氏で、私たち史料編纂所は、基則氏がもってらっしゃる古文書を調査して影写本(精密な写本)を作成しています。そこには源賴朝、足利尊氏の貴重な古文書が!

歴史研究を変えるような貴重な古文書が、「家」が継続されたことで現代まで伝えられているのです。


「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。