家康が上杉や毛利を潰さなかったワケ

家康はやはり武士のリーダーの子です。だから「武士の常識」に、多大な影響を受けている。

かたや、あとづけで「武士の常識」を学んだ秀吉には、それが希薄である。その好例が「家」をめぐる認識の差異ではないでしょうか。

家康は「武士の家」を大切にします。だから、名門の家は、なかなか断絶させません。

今川氏真とはいろいろあったけれど、500石与えて今川家を存続させた。また、関ヶ原の「負け組」側であったはずの上杉や毛利も、領地は削っても、潰すことはしなかった。

会津征伐の対象だった上杉とか、形式的にせよ西軍の総帥を務めた毛利とか、藩主は切腹、お家は取り潰しでも全然おかしくなかった。でも、実際には領地の削減だけ。まあ、それも十分すぎるほどきついですけど。

こういう事例は、遡って室町幕府がそうですね。

室町将軍家の最盛期を現出した足利義満は、いわば「外様大名」である東海の土岐、山陰の山名、山口の大内を討った。でも、一族を滅亡に追い込むことはしていない。

家名の存続、一定の所領は許しています。この三家は応仁の乱で再び徒党を組んで、暴れまわることになるのですが。