快適さをどこまで追求するのか

その一方で、ホテルのようなプロの対応ではなく、知人の田舎家にでも遊びに来たような親密さが魅力だという人もいるだろう。

地域の文化や歴史、食文化などを徹底的に掘り下げて、地域で共有していくことで、いかにもてなすのか、というソフトの部分に独自の魅力が加味されていくのだろう。

『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学』(著:島村菜津/光文社)

また、これも価格との兼ね合いだが、分散型の宿では、レセプションから離れた部屋まで客の荷物は誰が運ぶのか。

アメニティや部屋着はどんなものにするのか、あるいは置かないのか、といった細部をよくつめておく必要がある。

ある坂だらけの北部のアルベルゴ・ディフーゾでは、荷物の移動を5ユーロと決めていたが、それにも賛否両論あるだろう。

もう一つ、快適さをどこまで追求するのかという問題もある。

たとえば、ダニエーレの村のような伝統的な農家の暮らしをイメージした部屋は、宿泊施設に機能性と快適さを求める人には、どうしても使いづらい。

一度はこんなことがあった。夏の暑い頃、手頃な値段の部屋に泊まったところ、鉄格子の高窓にガラスがなかったこともあって、夕方、部屋に戻ると、黒いイモ虫が床に這っていた。

私は、蚊とゴキブリ以外の虫なら平気だし、大自然に魅せられてやってくるエコロジストたちも、自然の一部として温かく受け入れてくれることだろう。

だが、ぞっとして悲鳴を上げる客は少なくないにちがいない。