アルベルゴ・ディフーゾ派とホテル派
それには、マテーラでミケーレが話してくれたことがヒントになる。
そうした旅行者は、普通のホテルに宿泊した経験に照らし合わせて、これと比較しているのだ。
白で統一されたベッドリネン、明るい照明、快適で機能的なバスルーム、プラスチックの使い捨て歯ブラシなど痒いところに手が届くアメニティ。
高級ホテルになれば、そこに名だたる高級ブランドの選び抜かれた家具や寝具が揃い、客の要望を先まわりする、適度な距離感を保ったプロのサービスがある。
そうしたホテルこそが、旅の理想的な宿泊先だと考える、近代的なホテルの機能美の洗練を受けた人たちには、ダニエーレの宿は不便で落ち着かないと感じるのだろう。
入り口を他の客と共有するような造りも、プライバシーを尊重したい人は苛立ちを覚えるだろうし、テレビや冷蔵庫がないことも、やはり不便なのだろう。
アルベルゴ・ディフーゾ派とホテル派、だがそこは単純に線引きできる世界でもなさそうだ。
近代的な箱型のホテルが、快適さ、心地よさ、優雅さというものを追求しながら、同時に、効率性やそこから生まれる利潤を考慮していった結果、気がつけば、世界中の高級ホテルがどこも似たような空間になってしまってはいないだろうか。
私見だが、純粋にこれに飽きて、物足りなさを覚え始めた富裕層もいそうな気がする。
※本稿は、『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学』(光文社)の一部を再編集したものです。
『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学』(著:島村菜津/光文社)
煤だらけの壁、テレビも冷蔵庫も電話もない、インスタ映えとは無縁の料理――なぜ人を魅了するのか? これからの観光の最重要ワードであり、廃村・空き家問題の救世主となりうる「アルベルゴ・ディフーゾ(分散型の宿)」。その哲学と実践を、イタリアと日本での豊富な取材を基に、徹底的に掘り下げる。