現地調達にも限度が

こうしたことを知ってから筆者は、大軍の移動については、史料にはもっともらしく記述されていても、本当に可能だったのかをつねに疑ってかかるべきであると考えるようになりました。

小西行長らの一番隊は1万8800人とされていますので、中国大返しの秀吉軍とほぼ同規模です。かりに運動強度も同程度とすると、やはり、一日におにぎり40万個分の食料が必要です。行軍全体ではその約20日分ですので、およそ800万個分となります。

かりに釜山の補給基地にはそれだけの備蓄があったとしても、そんな量の食料を担いで行軍はできません。中国大返しの場合は行く先々にあらかじめ食事や宿を用意させることは十分ではなくともできたかもしれませんが、敵地では不可能です。

したがって現地調達、つまり朝鮮の占領先の城や民家などから奪うしかありません。しかし、当時は貧しい国であったとされる朝鮮で、日々どれだけの食料が確保できたのか、疑問があります。なにしろ行軍するのは一番隊だけではなく、そのあと続々と九番隊までが上陸し、総勢15万8000人にもなるのです。

ごくおおまかにいえば、当時の朝鮮半島には、毎日おにぎり300万個分ほどの食料を必要とする軍団が滞在しつづけていたわけです。これでは現地調達にも限度がありそうです。