日本の兵站は最初から破綻していたのでは

たしかに、釜山を補給基地としていては明に攻め上るほど遠くなるばかりで、いわれてみれば当然の戦略ではあります。

しかし、当時の日本軍の将校クラスの文献を見てもこうした構想は見当たらず、検討されていたとは思われません。

各隊の進軍スピードが想定以上だったので補給が追いつかなかった、という指摘はこれまでにもなされています。

ただそれ以前に、これだけの大軍をこれだけ広範囲に動かすにあたっての大構想がなかったため、日本の兵站は最初から破綻していたのではないでしょうか。

※本稿は、『日本史サイエンス〈弐〉―邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く』(講談社)の一部を再編集したものです。


日本史サイエンス〈弐〉―邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く』(著:播田安弘/講談社ブルーバックス)

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