一日の時間を自由に使える

一人暮らしをするのは、多くの場合10代の末か20代の初めからのことである。

その後、何十年という結婚生活の後に、改めて一人で暮らさねばならない時、それに順応する生活技術と、その意味を納得することは、至難の業なのである。

飛行機のタラップを降りる20代後半の曽野綾子さん。前が夫・三浦朱門さん。(1960年8月撮影。写真:本社写真部)

しかし、仲が悪いか、夫が気難しい性格だったかで、夫の死後、解放されたように生き生きとしている女性は多い。

夫が何も家事をしない人だったので、彼の死後は「本当に夢のように楽になった」と言う人もいれば、「夫はいいところもあったけど、それでも今の一人暮らしは素晴らしい」と言った人もいた。好きな時に旅に出られる。自分の願うような配分で、お金と時間を使える。

一日の時間をどのようにも自由に使える。

「忘れていたけれど、それが本当の人間の生き方だったのだ」という感激もあった。

すると、そこにいた別の一人が「そうかしら。人間の暮らしは、必ず誰かから何かの制約を受けるもんじゃない? だから自由に動けることの意味もわかるんじゃないの?」と言った。

考えてみれば、教育、就職、結婚といった制度はどれもそこにいささかの制約が附属することを意味している。