残り時間があまり長くなくて済む

誰もいない後半生を自分が生きる姿を、私はいつも一人で想像して来た。その上さらに車椅子の生活になっている自分、視力が衰えてしまって見えない自分、お金のない自分、難病を抱えている自分も夢想した。

生きていれば、家族の誰かが支えてくれるかもしれない。しかしそれは「当然のこと」ではなく類稀(たぐいま)れな「幸運」なのである。不運は簡単にやって来るが、幸運はけっして当てにできない。

『新装・改訂 一人暮らし 自分の時間を楽しむ。』(著:曽野綾子/興陽館)

私は30代にうつ病になり、10年近くかかってそれを脱した。50前後に視力を失いかけて、作家の生活を諦める場合の心の準備もした。

そして既に今は70歳の半ばまで生きて来て、一つのご褒美をもらった。それは50歳の時ではなく、今視力を失っても、残り時間があまり長くなくて済むということであった。

私が読み書きができない状態で暮らしていた頃、お世話になった一人の若い眼科のドクターは、「人間の寿命は長い方がいいとは言うけれど、もし200歳まで生きるとしたら、50歳で失明した人は、後150年は盲人として生きなければならない。それは患者さんの心理を見ていると長過ぎるように思うこともあるんです」と言われた。

健康に年老いるということは、体の能力が悪くなった後の時間が短くて済むことを意味する。