全部私次第で決められる

1人のときは、自分のペースで生活できるので、すごく楽です。起きたいときに起きて、食べて寝て、全部私次第で決められるのです。

今は強がりではなく、さみしいと思わないのですが、1人でいることが最初からさみしくなかったわけではありません。

『68歳、つつましくも贅沢な暮らし:年金3万+α、好きな場所で好きに生きる』(著:なかはらけい子/大和出版)

東京へ出たときは、誰1人知り合いもなく、まったく1人でした。阿佐ヶ谷の電車の音が聞こえるアパートに住みました。

楽しそうな外の雑踏がいつも聞こえていました。どうして私は、1人でこんなところにいるのだろうと、涙がたくさん出てきました。

東京で暮らそう、1人で生きていくんだと、気負っていました。

毎日毎日さみしくて孤独で、だけど、自分にはこの場しかないような気がしていました。

家で粗末に扱われたわけでもなく、出て行けといわれたわけでもなく、でも自分は東京で1人で暮らしていくんだと、だれにも頼らず、生きていく、そうしなくていけないと思い込んでいました。

今でこそ1人暮らしを満喫できるようになりましたが、当時の私は、毎日が自分と、さみしさと、東京という都会と目に見えない何かと戦っていたような感じです。

1人で生きていくんだと、わけもなく突っ張って、とんがっていながらも根無し草みたいに都会の中で、浮遊しているような。

そういうもろもろのことをやり過ごして、田舎の古い大きな一軒家に1人住んで、息子が生まれ、2人で森に住んで、再び1人になりました。

その後は、森の草木や生き物の中で、1人の時間を楽しめるようになっていったと思います。