全部私次第で決められる
1人のときは、自分のペースで生活できるので、すごく楽です。起きたいときに起きて、食べて寝て、全部私次第で決められるのです。
今は強がりではなく、さみしいと思わないのですが、1人でいることが最初からさみしくなかったわけではありません。
東京へ出たときは、誰1人知り合いもなく、まったく1人でした。阿佐ヶ谷の電車の音が聞こえるアパートに住みました。
楽しそうな外の雑踏がいつも聞こえていました。どうして私は、1人でこんなところにいるのだろうと、涙がたくさん出てきました。
東京で暮らそう、1人で生きていくんだと、気負っていました。
毎日毎日さみしくて孤独で、だけど、自分にはこの場しかないような気がしていました。
家で粗末に扱われたわけでもなく、出て行けといわれたわけでもなく、でも自分は東京で1人で暮らしていくんだと、だれにも頼らず、生きていく、そうしなくていけないと思い込んでいました。
今でこそ1人暮らしを満喫できるようになりましたが、当時の私は、毎日が自分と、さみしさと、東京という都会と目に見えない何かと戦っていたような感じです。
1人で生きていくんだと、わけもなく突っ張って、とんがっていながらも根無し草みたいに都会の中で、浮遊しているような。
そういうもろもろのことをやり過ごして、田舎の古い大きな一軒家に1人住んで、息子が生まれ、2人で森に住んで、再び1人になりました。
その後は、森の草木や生き物の中で、1人の時間を楽しめるようになっていったと思います。