市川房枝(昭和46年10月撮影、本社写真部)

国際的な女性組織を束ねる

日本が国連加盟をはたしたのは1956年、翌年「女性の地位委員会」の正式メンバーに立候補して初当選した。市川は、この動きをすぐさま捉えた。同年に「国連NGO国内婦人委員会」(以下、国内委員会)という組織を立ちあげる。

国連には、社会福祉関係、女性団体、労働組合関連団体など、国際的組織の非政府団体(略称NGO)がリストアップされており、このリストにのっている日本の女性団体の代表者を集めて新しい組織を作ったのだ。市川自身が率いる日本婦人有権者同盟、また日本婦人法律家協会、日本YWCAなど7つの団体が参加した。

このあたりの事情は、労働省婦人少年局長から女性初の大使としてデンマークに赴任した高橋展子(のぶこ)が『市川房枝というひと』に寄せた回想録に詳しい。高橋によると、市川が「国内委員会」を立ちあげた目的は、国民の眼を国際情勢に向けることにあったようだという。

国連の動きをフォローしながら、国連に対する日本の取り組みを注視し、民間から政府に取り組みを促し、さらには国際的な人材を育成しようとしたのだ。

1950年代後半は「もはや戦後ではない」といわれた時代。高度成長に向け坂道を駆け上る一方で国内に課題は山積しており、人々の関心は国際情勢にまでなかなか及ばなかった。そうした社会情勢のなかでの市川の動きをみて「国際感覚の鋭さ、新鮮さに感服した」と高橋はいう。