会場は女性で埋め尽くされて

何とか条約署名にこぎつけた。次のステップは「批准」である。

『市川房枝、そこから続く「長い列」──参政権からジェンダー平等まで』(著:野村 浩子/亜紀書房)

「国連婦人の10年中間年日本大会」の基調報告のなかで、市川はこう力を込めて語っている。

「『婦人差別撤廃条約』の早期批准は婦人問題解決の強力な根拠となり得るし、いや根拠としなくてはいけません」

条約批准をきっかけに女性の課題を進めていくことができる、市川にはそんな未来図が見えていたのだろう。いや、そうするべきだという揺るぎない信念をもっていたともいえる。

1980年11月22日、市川が実行委員長を務める「中間年日本大会」の当日は、朝からあいにく激しい雨となった。参加団体は48団体、会場の日比谷公会堂は全国から集まった2300人の女性で埋め尽くされていた。

ステージ中央には、ブルーに白抜きの国際婦人年のマーク。鳩と女性のマークをデザインしたものだ。左右に日本大会のふたつのスローガン、「なくそう男女差別、強めよう婦人の力」「婦人に対するあらゆる形態の差別撤廃条約の早期批准を」が掲げられた。