(写真提供:Photo AC)
放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する連載。第34回は「おすぎとピーコさんのこと」です。

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おすぎさんに声をかけていただいた日

「山田は、頑張ってるよね」

20年程前になるでしょうか。東海道新幹線の新大阪から1人で乗車し、東京に向かっていたとき、通路を歩いていらしたおすぎさんが私を見つけ、開口一番、こう言ってくださったのです。

当時の私は10年にわたった不妊治療にピリオドを打ち、「私には仕事しかない」と堰を切ったように働いていた頃。そういえば私は20代の最後の年に経験した理不尽な離婚で、一度、《心が死んだ》ようになっていたときにも仕事にすがり、ガムシャラに働いていましたっけ。

おすぎさんに声をかけていただいた日の私のスケジュールはというと、テレビ朝日に4時30分に入り、『やじうまプラス』の生放送に出演。8時前、エンディングの占いコーナーの途中でピンマイクを外し(本当は、とても失礼な行為です)、8時の時報と同時にスタジオを飛び出し、用意していただいていたタクシーに飛び乗り、東京駅へ。大阪の読売テレビで上沼恵美子さんの『週刊えみぃSHOW』に生出演し、その後、同局で10本録り(2週間分です)で番宣ミニ番組に出演していたのです。

『~えみぃSHOW』で共演させてもらっていたタレントさんや芸能記者、リポーターの皆さんが「美保子さん、大丈夫ですか?」と心配してくださるほどの分刻みの忙しさ。本当に私の良くないクセなのですが、「立ち止まってはいけない」と仕事のオファーをすべて受け、空いている時間を全て仕事で埋めていたのです。

ずいぶん前にも書かせていただいたかと思いますが、前述の《理不尽な離婚》後、雑誌とテレビの仕事の双方をスタートさせたため、雑誌でのレストラン取材の際、店の壁を使って立ったままテレビ番組のナレーション原稿を手書きし、店のFAXを借りてテレビ局に送信していたような《ガムシャラ期》が40代後半で再び訪れていたのです。まぁ、仕事を断らなかったのは私自身なのですが……。

立ち止まるのが怖かったのは、心がササくれだっていることを自覚してしまうだろうと思っていたからです。