22歳、中村雅俊さんの付き人時代。持っている箱は中村さんのお弁当(写真提供◎小日向さん)

 

「なんでカメラマンやんないの?」

撮る人から撮られる人に方向転換する第一歩は、文学座研究所の入所試験への挑戦だった。

――いやぁ、誰でもすぐ入れると思ったんですよ(笑)。ところが行ってみたら30名の募集に何千人もの若者がつめかけていた。四谷の上智大学が試験会場でね。一次で簡単に落ちました。

『ハムレット』の「尼寺へ行け」という台詞をまず読まされたんですがね、芝居なんか観たことないから調子が外れて。終わって審査員を見たら、うーんって頭を抱えてる。

次は二つの課題から一つ選んで即興で演じるという審査。「花占いの結果がよくなくて突然深い悲しみに襲われる」というほうを選んだら、またその審査員がうーんって(笑)。「君さ、写真の学校出てんのに、なんでカメラマンやんないの?」。これはもうダメだな、と思いましたね。

ちなみに、その審査員は高原駿雄(としお)さんです。テレビドラマで見ていたので、「あっ、あの人だ」って。

僕はまだ22歳でしたから、来年また文学座を受けようと思っていました。しかしその時、アルバイト先の人から、「文学座の中村雅俊さんがコンサートのスタッフを探している」と聞いて。すぐにスタッフになり、しばらくは付き人もやりました。でも、本当にやりたいことはこれじゃない。

そのうち自由劇場の募集があり、こっちの入所金は7万。文学座は二十数万だった。自由劇場にはテレビの『木枯し紋次郎』で素敵だった吉田日出子さんがいたし、よし、ここだと思って受けました。

試験では、その時公演中だった芝居の主役の台詞を読まされて。それから、「何か大声で叫んで」と言われたんで、スキーの骨折で入院中に好きだった看護師さんの名前を「ユウコさん好きだー!!」って(笑)。

どうせ落ちると思ったんで、日出子さんのところへ行って、「ファンです、握手してください」とも言いましたね。