「作品を作るより、自分が作品になりたい。それには役者だな、と思ったわけですね」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第16回は俳優の小日向文世さん。デザインの専門学校に通うために上京し、写真学校を経て役者を目指すことに。紆余曲折の末、自由劇場に入所することになりましたが――。(撮影:岡本隆史)

神様にぎゅっと腕を掴まれた

小日向文世さんの当たり役を私的に選べば、オンシアター自由劇場時代、『クスコ』(作・斎藤憐)の愚か者を装う第二皇子カミノ。『国民の映画』(作・三谷幸喜)の冷徹で薄気味の悪いナチスドイツのゲッベルス。

そしてテレビの大河ドラマ『真田丸』(三谷幸喜脚本)で老醜をリアルに演じてみせた太閤秀吉。どの役もひと癖、ひと捻りのある演技で、観客の眼を一身に集めてしまう。

でも最近の舞台『アンナ・カレーニナ』ではその〈ひと癖〉を封印しているみたいだった。妻・アンナ(宮沢りえ)の帰宅を、両手を広げて「お帰り!我が家へ」と迎える場面はとてもよかったのだが。

――ええ、あの場面だけなんですよ、唯一、幸せな瞬間を生き生き見せられるのは。演出家のフィリップ・ブリーンもあそこは喜んでくれて。その延長線上で、カレーニン役の僕が若い男に妻を取られて必死になってる様を滑稽に見えるほどにうろたえて演じようかなと思っていたけど、徹底して真剣に苦悩するカレーニンを求められました。

稽古場でりえちゃんが、「コヒさん、もうちょっとチャーミングな感じがあっても」って言ってくれたんだけど、演出家の要求に応えてみせたいですからね。僕はフィリップの喜ぶように演じる。

だいたいこの役を引き受けたのは、「宮沢りえの夫役?うん、これを逃したら二度と来ないかもしれない」と思ったからで。(笑)