可能性を封じない~「どうせ」「しょせん」
自分を傷付ける言葉でなくても、前向きに生きる力を奪ってしまう言葉はあります。それは、「どうせ」や「しょせん」など、限界をイメージさせる言葉です。
「どうせ」という言葉が文頭にあると、そのあとは決まって「〜ない」というネガティブな否定形の文章になります。意識していなくても、「どうせ」を口ぐせにしていると、自分の心に否定形がインプットされてしまいます。先ほどお伝えしたように、自分が脳内でつぶやく独り言は、自分へのギフトです。
自分の限界をイメージさせる言葉を使うことは、あたかも、自分の限界を見える化するような行為です。自分の限界を宣言してしまっているのと同じです。
「どうせ」や「しょせん」といった限界を示唆する言葉を使ってしまうのは、あなたがきっと、いままでたくさん経験をしてきたからです。経験則から、いまの成長曲線上に思い描ける未来はない、と思ってしまうのです。
人の成長曲線はずっと右肩上がりに上がっていくわけではありません。成長には必ず停滞の時期があります。人は新しいことをはじめると、最初はぐんぐんと上達します。できなかったことができるようになるのは、自分の成長の変化を実感できて、とても楽しいことです。
しかし、やがて成長曲線が水平を描くようになり、まったく成長していないかのように見えるときがやって来ます。この時期のことを「プラトー」と言います。
英会話の勉強、筋トレ、私の仕事のように技術を使う仕事、どんなことにでも当てはまります。こうした時期に、学びや習得の新鮮味が失われ、人は自信をなくしたり、やる気を失ったりしてしまいます。つい、限界をイメージする言葉を使いたくもなります。
このプラトーはどんな天才でも、必ず経験することです。こうした時期に、いかに心を前向きに保ち、あきらめずに少しずつでも地道に練習を継続するか。それがとても重要です。プラトーのあとには、また大幅な成長をする機会が訪れます。しかし、プラトーでやめてしまうと、もう次の成長を見ることはできません。