言わなくていい本音はいっぱいある

これは自分自身の反省点でもありますが、私の家はずっと江戸、東京と続いてきているので、あまり婉曲に言うコミュニケーションをとる人が親族には少なく、やんわりと毒を使うというロールモデルが周りにおらず、こうした学習が十分にできてこなかったという後悔があります。

そのようなこともあって、これらを学びたいという気持ちが強く、上手に言える人を見るたびに、「ああ、すごいな」と尊敬の念を持ってきました。

『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術』(著:中野信子/日経BP)

この「ああ、すごいな」の気持ちは、京都の人たちのコミュニケーションを見るたびに、特に強く感じたものでもありました。

ああ、もし、私がこの人たちともっと小さいときに会っていて、よくやり取りをしていたなら、もっと私も上手に毒を使えるようになっただろうか、としばしば思ってきたのです。

言わなくてもいい本音、というのは、時には、言ってはいけないことでもあります。本当のことではあっても、言ってはいけないことがある。

どちらを優先するのか。本当のことを優先すると、しばしばそれは社会性に欠けた言動であると見なされることがあるのです。

それを、東京の人は、ずいぶん大人になってから知るということも生じるわけです。