写真提供◎青木さん
青木さやかさんの連載「50歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、50歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。
今回は「初期の肺がん経験者として」です。

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大阪で行われた肺がんの「市民公開講座」

わたしは2017年に右肺上葉部の初期の肺がんの手術を受けたのだが、その体験談を、お話させていただいた。

司会は元フジテレビアナウンサーの笠井信輔さん。

笠井さんご自身も、悪性リンパ腫という血液のガンの経験者である。一般的な健康診断では見つけにくい「悪性リンパ腫」で、笠井さんは排尿困難、腰痛、体重減少という症状に悩み、病院にかかったのだという。病名がはっきりするまで4ヵ月、判明後はすぐに入院して抗がん剤治療を、と言われたが、『徹子の部屋』の収録が数週間後にあった。

「このまま自分が終わるのは嫌だ、爪痕を残したいから『徹子の部屋』に出てから治療させてほしい、と医師に頼み込んだんですよ~」とあっけらかんと話す笠井さんの話に、会場は笑いが起きた。重めの話題を話しても清々しく、笠井さんは、とにかく快活そのものだった。

さて、わたしは肺がんの手術から5年以上経った。5年経ち、保険の見直しをしたので確かだ。今では、自分ががんだった事を忘れている。時折、「大病されたんですよね、、」と神妙な顔つきで気遣われたりすると、えーと、何の話でしたかね?ああがんね、となったりする。術後すぐは3ヵ月に一度だった経過観察も、今では、おかげさまで1年に一度の検査だけになった。

肺がん「市民公開講座」のプログラム