「女子大生」というレッテル
それでも、まわりは全員身内みたいな北海道の田舎で育った私は、ずっと守られていたんでしょうね。
誰かと外見を比較されたり、“女”としての価値をジャッジされたりする経験をほとんどしてこなかったんです。
だから大学進学のために上京して、おったまげました。
東京――そこは戦場だったのです(!)。
“女子大生”というレッテルを即座に貼られ、あれよあれよという間に“若い女性=魅力に溢(あふ)れている女のピーク”という評価の土俵(どひょう)に立たされました。
今では信じがたいけれど、当時の私はみんなと同じように「かわいくてキレイですらっとした女性」を目指さなきゃと本気で思っていたのです。
同じ土俵に乗らないと浮くし、浮いてしまえばぞんざいに扱われるから身動きがとれなくて。あの頃は本当にしんどかったですね。
あるとき、友だちと「お小遣いを稼ごう!」と意気込んでキャバクラに体験入店したのだけれど、そこでもことごとく撃沈(げきちん)。
大学時代、東武東上線の志木駅(埼玉県)に住んでいた私。
まず池袋のキャバクラに落ちて、成増のキャバクラにも落ちて、日本人スナックにも落ちて、やっとこさ志木の多国籍スナックに拾ってもらえた……という経験をしました。
“女”としての価値って、こんなにもあからさまに優劣をつけられてしまうものなのだと、かなりショックでした。
これは自分から土俵に飛び込んだ話なので今では笑い話だけれど、普通に生きているだけでも有無を言わさず土俵に立たされて、“女”としての闘いを強制されてしまう。
そういう場面は、今でもまだ社会のそこここに残っている気がします。
むしろSNSがあることで、ルッキズム(=外見至上主義)が過剰(かじょう)になっている部分もあるかも。