産業と鉄道のつながり
近現代ドイツ史研究では、こうした工業的発展のような19世紀の巨大な変化にも、より伝統的な社会から引き継がれた要素が強い影響を与えたという見方が有力であった。鉄道業の場合、このような見方は、まったく新しい近代的産業組織の運営に、国家官僚制が有益なモデル、ノウハウ、人材を供給し、その展開を規定し、一面で支えたという魅力的な説明になる。
はたしてそんなことが起きたのか、起きたとすれば実際にはどう起きたのか。
結局のところ、ここで技術者の役割がクローズアップされるべきものとして浮かび上がる。国外の経験に直接間接に学んだ最初の世代に続き、ドイツ語圏の内部で養成された技術者が鉄道建設の乳場に立つようになる。彼らが、成立しつつある「鉄道企業」という新組織のなかで、ドイツ講圏の「鉄道技師」という新しい職業集団を形成していく姿があった。
そこにはある種の凝集があったが、それはときに排除をともなう。新しいグループは、「他者=よそもの」もつくっていった。他方、よそものもただ疎外されているばかりではない。1840年代前半、鉄道網の1つの核に育ちつつある王都ベルリン発の鉄道建設をめぐる、「怪人vs役人」とでもいうべきエピソードが、ここにはさまれる。
1848年にほぼヨーロッパ全上で革命が起き、旧い社会秩序がゆらいだ。ドイツ語圏の強国プロイセン王国では、革命の直接のきっかけは、東部領上の国有鉄道建設計画の財政的可否をめぐる議論だった。