経済成長と鉄道
この旧体制と市民、民衆という三者の演じた革命の構造が、鉄道業組織の内部に縮図として再現されていた。また、自由とドイツ統一とを同義語であるかのように追求した革命期の試みが挫折した直後、「ドイツ国民国家」的な統一へのたしかな動きが鉄道業のなかではじめられていた。
前述の(3)にあたる時期、革命という劇の幕が下りてからの1850年代から60年代には、経済成長がようやく誰の目にもあきらかな現象となり、景況の上下を含みながらも持続した。これに支えられて、ドイツ語圏内の鉄道建設が本格的に進んだ。
1870年代初頭、つまり(4)の時期、鉄道延伸距離はおよそ1万9000キロメートルに飛躍する。これは当時のヨーロッパ全体の延伸距離の4分の1弱であり、一国内の延仲距離で、1871年に成立していたドイツ帝国は英国(アイルランドを含む)を70年代中に追い抜いた。
すでに幹線といえる主要路線はほぼ敷き終わっていたが、鉄道路線の拡大と地域内の充実はその後も続き、1880年代に入るころにはおよそ3万キロメートルに達した。ドイツ帝国にはヨーロッパ諸国でも最も密な鉄道網が急ピッチで形成され、第一次大戦の直前には延伸距離は最大6万キロメートルに及んだ。
ドイツ統一にいたる戦争でプロイセン陸軍が鉄道を活用したことは、フランスに対する勝利もあって、ドイツ帝国内の鉄道業の優越を自他に強く印象づけた。