世界的な鉄道の役割

実際にはまだそれはいくらか過大評価であった。線路の複線化はフランスに比べて遅れていたし、全国の統一的な鉄道網を機能させるための制度的仕組みやノウハウも整備の(長い)途上にあった。

パリのような一国の鉄道路線のまぎれもない中心に帝都ベルリンがすぐになれたわけではないし、そうしたハブ的存在の都市は帝国内にいくつもあった。そのメリット、デメリットの評価はむずかしいが……。

しかし19世紀第4四半期の経済成長のなかで、新輿大国ドイツの鉄道業もまた発展を続ける。もはや技術革新の大半が鉄道業をとりまくものというわけではなくなったが、第二次産業革命、特に内燃機関の発達や金属工業、電機など機械工業の進歩を鉄道も取り入れていく。

ドイツの鉄道業はヨーロッパ大陸で国際的に大きな存在感をもち、それを背景に成立した「中欧」の鉄道は、国際的に広がりゆく鉄道網のなかで一種の覇権争いに入る。

技術規格をめぐってのものでもあったが、端的には、ドイツを通らずに中東になど行かせるものか、行きようがあるまい、というのである。

 

※本稿は、『鉄道のドイツ史――帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』(中公新書)の一部を再編集したものです。


鉄道のドイツ史――帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』(著:ばん澤歩/中公新書)

本書は、鉄道という近代的な技術および組織を通して、ドイツの複雑な軌跡を描く。帝国を形成する過程、2つの世界大戦、そして東西に引き裂かれた後、再びの統一……。政治家、官僚、鉄道技師、学者、そして怪人物などの足跡も交えながら、大きな潮流を捉える試み。