(写真はイメージです 提供:photoAC)
2023年7月16日(日)に東京宝塚劇場での千秋楽を迎えた、宝塚歌劇団雪組公演『Lilac(ライラック)の夢路』。彩風咲奈と夢白あやによる、新トップコンビの大劇場お披露目公演でもあった本作は、19世紀初頭のドイツを舞台に、鉄道事業の発展を夢見て奔走する若者たちを描く。脚本の発端となったという、大阪大学教授・ばん澤歩(ばんは、正式には「方」へんに「鳥」)先生の『鉄道のドイツ史』より、ドイツの鉄道事業と、ナポレオン時代との関係性を紹介します。

ドイツ最初の鉄道

ドイツ鉄道史の最初の1ページは、1835年12月7日、「ルートヴィヒ鉄道」ことニュルンベルク‐フェルト間鉄道の開業から書かれるのがふつうである。

この月曜日午前、冬の陰鬱な空の下、バイエルン王国中部フランケン地方の両部市間6キロメートルが、小さな英国製蒸気機関車「アードラー(鷲)」の引く客率九輛(りょう)編成の列車によって、10分足らずではじめて結ばれた。

この日付が以降、ドイツの鉄道記念日となった。そもそも、なぜドイツ語圏最初の鉄道は、他ならぬこの南ドイツの2つの街の間に敷かれたのだろうか。「玩具のような」などと後世にいわれるものの、定期運行する最初の鉄道であった。

その背景には19世紀初頭のナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)による支配の時期をはさんだ、ドイツ経済の大きな変化があった。鉄道建設は、それに押し流されまい、あるいは、置いてきぼりにされまいとする試みに他ならなかった。

その必要は、ニュルンベルクという人口4万4000の街では他のドイツ語圏主要都市に増して大きかったのである。

ドイツでのナポレオン時代の開始は、「近代」への突入を意味した。中世以来の経済的機能が衰弱する不安に直面していた伝統的な商業都市ニュルンベルクと、手工業都市フェルトの経済人・市民は、鉄道というリスクの大きい新事業に賭けた。

「ルートヴィと鉄道会社」の募集した株式17万5000グルデン(主にドイツ南部の当時の通貨単位)は2000年代はじめの500万〜600万ユーロにあたるというが、当時としては大きな資本規模である。そして最新の外来技術を利用せざるをえない事業だった。一種のベンチャー企業といえる。