やはり「はじめにナポレオンありき」

ニュルンベルク‐フェルト間の鉄道は、少なくとも日に二往復は馬ではなく、高価な石炭を焚く英国製の蒸気機関車によって客車をひいた。その名、「驚(アードラー)」には、神聖ローマ帝国以来の伝統をもつドイツの国鳥の名をつけることで、片々たるバイエルン王国の一地方都市にとどまらない、統一(されるべき)ドイツの都市だという両市民の意思が込められているという説もある。

政治的統一がなかなか困難であることは、流血や追放をともなう弾圧ですぐにわかった。であれば、同じくドイツ人の生活を累卵(るいらん)危うき状態にしている経済的分裂をまず解消すべきなのだ―― こうした考えに、「ドイツ」最初の鉄道企業家たちは、「ドイツの経済的統一」の最大の主唱者の肉声で触れていたようである。

その人物、フリードリヒ・リスト(1789〜1846)もまた、ポスト・ナポレオン期の改革思想である立憲主義的改革を自邦でおこなおうと主張して弾圧を受けた一人であった。

ナポレオン・ボナパルト、フランス皇帝ナポレオン一世は1821年に流刑地セント・ヘレナ島で没している。だからその後の鉄道敷設にはもちろん何の関係もない。だが、やはり「はじめにナポレオンありき」。史家トマス・ニッパーダイによる浩瀚(こうかん)なドイツ史のあまりにも有名な冒頭の一行は、鉄道にも当てはまるのである。

 

※本稿は、『鉄道のドイツ史――帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』(中公新書)の一部を再編集したものです。


鉄道のドイツ史――帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』(著:ばん澤歩/中公新書)

本書は、鉄道という近代的な技術および組織を通して、ドイツの複雑な軌跡を描く。帝国を形成する過程、2つの世界大戦、そして東西に引き裂かれた後、再びの統一……。政治家、官僚、鉄道技師、学者、そして怪人物などの足跡も交えながら、大きな潮流を捉える試み。