最強の2人

この「ルートヴィヒ鉄道」の創設に関与した人物として、2人の名が必ず挙がる。

グオルグ・ツァハリス・プラトナー(1781〜1862)とヨハネス・シャーラー(1785〜1844)。プラトナーはインディゴ(藍)やタバコなど植民地物産を取り扱う大商人で、 ニュルンベルク経済界の指導者的存在だった。

シャーラーもまたニュルンベルクの商家に生まれ、ホップをあつかうかたわら市参事会長として第二市長も務めた。社会事業に熱心で、現在のニュルンベルクエ科大学の前身である工科学校(ポリテクニシェ・シューレ)も設立している。

太っ腹で情熱的なプラトナーと控えめで物静かなシャーラーのコンビが、20年代末以来すでに話もあり、一度は立ち消えにもなった当地の鉄道建設計画に、1833年初頭、あらためて着手した。

有志の中心になってほぼ1年がかりの調査をおこなったうえで、まだ珍しかった株式会社を設立、1300株に対して200人から出資をあおぐとともに、プラトナーみずからも1万1000グルデン(33万ユーロ)を引き受けた。

多忙な王国技官パウル・デーニス(1795〜1882)を工事指揮に雇い、レールや機関車といった資材の買い付けに文字通り東奔西走したのであった。