ニュルンベルク経済の置かれた状況

彼らの20歳代は、ナポレオンのドイツ占領時代であった。故郷であり本拠地であるニュルンベルクは、名目上は神聖ローマ帝国の帝圏都市としての自治の伝統を誇っていたが、ナポレオン・ボナパルトがドイツ語圏各地を軍事的支配下においた1806年、バイエルン領内に強引に編入された。

『鉄道のドイツ史――帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』(著:鴋澤 歩/中公新書)

占領下ドイツに、侵略者フランスに抵抗する大学生を中心とした愛国的な運動が高まったのが、この時期以降の数年であった。

1806年に英国との通商を遮断するためにナポレオンが発令した大陸封鎖は、近世以来、海外交易の一翼を担って繁栄してきたニュルンベルクの地位に打撃を加えた。

つまりは、プラトナーらの事業に大いに影響した。また、ナポレオンがドイツ語圏ひいてはヨーロッパにもたらした新体制は、旧帝国都市の政治的独立を奪っただけではなく、ニュルンベルク経済にまったく新しい商圏をさがすことを余儀なくさせた。

ナポレオン没落後、「ヴィーン体制」下のドイツ連邦でも、地方都市ニュルンベルクの悩みは変わらないのである。