能見さん「新聞の見出しにも傷つけられることはありました」(写真:『#みんな大好き能見さんの美学(ポーカーフェイスの内側すべて明かします)』より)
ジャイアンツ打線から三振の山を築いて「巨人キラー」と呼ばれ、22年シーズンを最後に現役引退した能見篤史さん。引退試合では、代名詞の「世界一美しいワインドアップ」で三振を奪った姿に胸を熱くさせたファンの方も多くいらっしゃることでしょう。能見さんは阪神タイガース、オリックス・バファローズで選手、コーチとして18年間活躍し、現在は、野球評論家として活動中です。その能見さん「新聞の見出しに傷つけられることもありました」と言っていて――。

他球団から人気のトレード候補に

2度のファーム降格もあり、16試合登板で4勝1敗1ホールド、防御率5.57という成績に終わったプロ1年目。チームは2年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしましたが、素直には喜べませんでした。

即戦力として期待され、先発ローテーションにも入れてもらいながら、たったの4勝では優勝に貢献したとは言えません。来年こそ! と強い気持ちで2年目のシーズンに挑んだのですが……。そこからしばらく低空飛行が続きました。

2年目以降はチーム事情によりリリーフに回ったり、また先発に戻ったりと配置転換こそありましたが、岡田彰布監督は辛抱強く僕を使ってくれました。でも、期待に応えられる結果を残せないまま3年の歳月が流れ、08年はとうとう0勝。

先発は1試合だけで、残る10試合はリリーフでしたが、“勝ちパターン”に入っているはずもなく、力量を完全に見極められて、「能見を使うくらいなら、新しく入ってきた選手を使ったほうがいい」と考えられ始めていたと思います。

起用法を見る限り、トレード候補だったと想像できます。あとで聞いた話ですが、僕は他球団から結構、人気があったそうです。サウスポーというのも大きかったでしょう。

本心としては、自信はあるのに使ってもらえない、という状況ではないものの、環境が変わればきっかけになるかも、と少しは思っていました。

頑張っているつもりなのになかなか結果が出ない。このままではチャンスも少なくなる。それなら移籍したほうが……。そう考えるのは自然なことです。欲しいと言われて移籍すれば、必ず使ってもらえますからね。

ただ、僕がトレードされることはありませんでした。他球団から需要があると分かり、かえって阪神は「手放せない」となったかもしれません。トレード先で僕が飛躍したら、「阪神は何してたの?」と言われてしまいます。