母の従兄弟である「横浜のおじちゃま」は、著名なピアニストでした。母は姉におじちゃまのレッスンを受けさせ、ピアニストに仕立て上げることに情熱のすべてを注ぎ込みます。母は姉を分身にして、自分の夢を生きたかったのでしょう。
私ではなく姉だったのは、長女だったからでしょうが、幸い姉は性格的におナマケの私よりずっとピアノに向いていました。母は私にもピアノやバレエを習わせましたが、情熱のかけ方がまったく違いました。
家のお手伝いを言いつけられるのは私だけ。姉は腰が重いので、母は「あの子にものを頼むだけで、疲れちゃうのよ」と、私ばかりを使う。私自身も、頼まれたら自分がやるべきだ、と思っていたところがありました。幸いだったのは、同居していた祖母が私をたいそう可愛がってくれたこと。母に甘えられなくても、祖母が寄り添ってくれたことで、一生分の安心感を手に入れることができた気がします。
7歳のときに祖母が亡くなり、その5年後に、父の仕事の関係で家族揃って渡米しました。直後に歯医者さんから歯列矯正を勧められたので母に伝えたら、「そんなの無理、香苗ちゃんのグランドピアノを買ったばかりだから」と。後に母は、歯並びの悪い私を見ては「あのときやってあげればよかった」と後悔しきりでした。(笑)
ひどく不公平だとは感じていました。でも、だからといってひねくれるようなことはなかった。というのも、姉は子どもなりに私のことを尊敬してくれて、いつも「美苗ちゃんって天才じゃないかしら」と褒め、自分のほうがもう少しは美人なのに、「美苗ちゃんみたいに可愛い子はいない」って言ってくれて。
それに、幼い頃こそ2歳の年齢差は大きかったけれど、いつのまにか私は姉を追い抜いてしまい、姉は頼りにならない人になっていきました。勉強も私のほうがよくできて、といっても大したことないんですが、姉はもっと大したことなかった。