まだ幼い姉妹を抱く両親(写真提供:水村さん)

愛されていないというコンプレックス

水村さんは、32歳で日本への帰国を決意。それに合わせて、父を日本の老人ホームへ移し、アメリカには姉1人が残ることになった。

――両親もほぼ同時に帰国し、やがて父の入居したホームへ私が通う日々が始まりました。恋人がいた母は、父のことはおおむね私に任せきりです。

一方、姉からは頻繁に国際電話が。「電話は高いから手紙をちょうだい」とくり返し日本からの手紙で言ったのですが、寂しかったのでしょうね。

姉はピアノを教えることで生計を立てていました。でも、そもそもアメリカで生徒を集められたのは、駐在員たちに精力的に声をかけた母のセールス能力のおかげでした。その母が消えてしまってからお弟子さんは減るばかり。それでも、姉は貧乏暮らしをしながら1人で10年近くよくがんばったと思います。

可哀想でしたが、私は最初の小説『續明暗』が完成するまでは、手のかかる姉に帰国してほしくなかった。ですから本が出たタイミングで、「香苗ちゃん、そろそろ帰ってきたら」と言ったんです。そうしたら、「待ってました」と言わんばかり、すぐにぴゅーっと帰ってきました。

さて、この人をどうやって食べさせていくか。姉が収入を得る道はやはりピアノを教えること。今度は私がセールス担当になって、電話帳に広告を出したり、ホームページをつくったり、いろいろやりました。