鎌倉時代にもあった母娘問題

大姫と北条政子の母娘、それぞれの人物像ですが、大姫に関しては、繰り返し「悲しみのあまり憔悴」といった表現で、その繊細さを強調されています。気鬱の病…現代でいうところの「うつ病」だったのではないかと思われます。
そんな娘と、尼将軍とまで呼ばれた苛烈なお母さんとの関係はどんなものであったのだろうかと想像を巡らせつつ考えました。

政子は「挫折を知らない人」という印象です。私の勝手なイメージですが、若いころはヤンキー気質というか(笑)、自由奔放に育った娘という感じ。それが、源頼朝という都会出身のデキる男と知り合って妻となり、共に急成長を遂げる。地方の豪族の娘から、天下の武士を束ねる棟梁の妻となる過程で強烈な成功体験が積み上げられたら、何をやっても「私が正しい」というメンタリティになってくるのではないかと。作家になる前、ライターとして企業の経営者や政治家の方を取材する機会も多くありましたが、こういう成功体験に裏打ちされた強気のカリスマ社長にも男女問わずお会いしました。リーダーという点でとても魅力的ですが、身近にいたらちょっと大変かもしれないな……と。

源頼朝と北条政子像(写真提供:PhotoAC)

政子のような人は時代の転換期においては必要な人物であったと思いますが、こんなパワフルな人物が繊細な娘と向き合うのは、とても危険なことに思えます。情に厚い人ですから大姫の事は愛していたはず。でも「これが娘のため」と強く思うあまり、肝心の娘の気持ちを押し切ってしまうところがあった。史実でも頼朝の命に従い大姫の許嫁である義高を殺した武士を、政子が殺すように命じたというエピソードがあります。怖いですよね。とすると、「娘のため」に、女性としての最高の誉れである入内を進めてしまったのではないかと考えました。