「うつむき加減になってしまう時こそ心に栄養をあげて、笑顔の花を咲かせていきたい――。そんな思いで作ったアルバムです」(提供:テイチクエンタテインメント)
今年でデビュー45周年を迎える歌手の石川ひとみさん。記念アルバム『笑顔の花』を7月19日に発売し、第一線で歌い続ける姿は、多くの人を勇気づける存在に。愛知県で生まれ育ち、80年代を代表するアイドルの1人として一時代を築いた石川さんに、幼少期の思い出から、デビュー当時の様子、大ヒット曲「まちぶせ」への思いなどを伺いました。
(構成◎上田恵子)

オーディション番組で7週勝ち抜き、愛知県から上京

お小遣いで初めて買ったレコードは、小学4年生の時に大ヒットしていた「黒ネコのタンゴ」(編集部注:日本では、歌手・皆川おさむさんのデビュー曲として発売)です。学校から帰ってくると宿題もせずに、レコードをかけながら歌っていた記憶があります。子どもの頃から、毎日のように歌謡曲を聴いては自分でも歌っていましたが、なかでも天地真理さんはレコードを全部持っているくらい大好きでした。

本格的に歌のレッスンを受け始めたのは高校2年の時。地元にあった、渡辺プロダクションが運営する「東京音楽学院 名古屋校」に通いました。が、月謝の値上がりを機に、両親から「歌手になるわけでもないのにお金かけて歌なんて習ってないで、お茶とかお華とか将来役立つことをしなさい!」と言われ、しぶしぶ退学。結局、きちんと歌を学んだのは1年もない程だったと思います。

そんな時に新聞で見つけたのが、渡辺プロダクションの新人オーディションの告知です。両親を説得して参加し、さらにフジテレビの『君こそスターだ!』にも誘われて出場したところ、なんと7週勝ち抜いてチャンピオンに!しかもチャンピオンになったからといって芸能界に入れるわけではないところを、私はたまたま渡辺プロダクションが運営する学院に通い、オーディションを受けていたこともあり、そのままお世話になることになったのです。

もちろん両親は大反対です。でも、誰もが知っている大きなプロダクションだったこと、そして寮があり食住の面倒もみてもらえるということで、なんとか許してもらえて。東京のアパートで独り暮らしだったら、絶対にダメだったと思います。本当に、いろいろな偶然が重なっての芸能界入りでした。

愛知県で過ごした幼少期(提供:石川ひとみさん)