チームを去る時
何より幸せだったのは2005年10月6日、夫の父親の誕生日翌日に、東京ドームで引退セレモニーをしていただいたことだ。
西山秀二さん、後藤孝志さんと一緒に東京ドームの広島戦の後だったが、360度ファンの方々の声援に送り出されて引退した元木の姿を、驚く数の元木の親戚たちと共に見届けていた。少年時代からプロまでずっと元木大介の野球を応援し続けてくれた親戚たち。
夫の両親も、この日が来るのをどこか覚悟していたような、それでも誇らしいような表情で、東京ドームのスタンドに2人並んで座って息子を見守っていた。
なぜか2回、4回、6回の攻撃のたびに、鳴り物以上にドンドコお腹を蹴って大暴れしていたお腹の子。翔大である。あの頃から無類のジャイアンツファンだったのか、父親の応援をしているつもりだったのか…。まだ24週目ほどなのにそのまま出てきたらどうしようと気が気でなかった。
私はあの時、目に焼き付けようと思って見ていたドームの景色を今も鮮やかに覚えている。野球っていいなぁ。パパよかったね。お疲れ様。そんなことをぼんやり思いながら、グズグズ鼻をすすりながら見ていた東京ドームのグランドを、夫は顔をクシャクシャにして泣きながら一周していたのを覚えている。
あれから夫が泣いているのを私は一度も見たことがない。
でも自分の野球の全てを見守り続けてくれた父親が亡くなった時は、私の見て
いないところでひっそり泣いていたのかもしれない。
あれから翔大が生まれて、サッカーに夢中だと思っていたらいつのまにか野球の世界に吸い込まれていった。そして5歳離れた弟も当たり前のように野球を始めていった。
学童、中学と、最終学年を終えてチームを去る時が来ると、だんだん寂しくなっていくものだ。もう主力ではなくなり、卒業まではグランドの隅の方で邪魔にならないよう、遠慮がちに練習を続ける。もちろん、素振りやランニングや補強などは自宅でも毎日続けていく。
そして、また新しい野球がまた始まるのをワクワクしながら待ちわびる時間でもある。