樹木希林さんと初めてお会いしたのは19年前。きっかけは、子育てを通じて希林さんの娘の内田也哉子さんと知り合ったことでした。希林さんは私の仕事に興味をもたれ、「今、どんな執筆をしているの?」「どのような人をカウンセリングしているの?」など話を聞いてくださり、特に対象が子どもであった場合は、ご自身の考えを示してくださいました。

希林さんの病気のことを知ったのは14年前です。也哉子さんから「あらためて会ってほしい人がいる」と言われ、ご本人から乳がんのステージIVであることをお聞きしました。

現在発売中の『婦人公論』10月8日号の表紙に登場した内田也哉子さん

希林さんは子どものころからずっと「生と死」の問題を考え続けてこられた方。ご自身の病気も正面から受け止めておられ、悲しみや怒りや混乱はほとんど表に出されませんでした。後日もう一度希林さんからお電話をいただき、「自分はこれからだんだん体調が悪くなる。そんななかでも死生観をより深めていくために、あなたの力が必要です」と言われました。

治療方針についてご相談を受けることもありましたが、私から「こうしたほうがいい」「これはやめたほうがいい」と意見したことはありません。聞き役として、ご本人が自分の考えを整理したり確認したりするお手伝いをしただけです。

お茶を飲んだりご飯を食べたりしながら、禅問答のように投げかけられる希林さんの問いやお話を伺うのは、私にとっても貴重な時間でした。

いつだったか、「いじめっ子といじめられっ子がいたら、自分はいじめっ子の傍らに立つ」とおっしゃったことがあり、とても印象に残っています。

これは也哉子さんからも聞いた話なのですが、あるときご近所で激しい兄弟喧嘩というか、一方が暴力をふるって大騒ぎになっていたことがあったそうです。希林さんはサンダルで駆け付けて、殴られている子をかばうのではなく、殴っている子をぎゅっと抱きしめて、「わかるよ。わかるよ」と言ったというのです。