私が看取りをしてきたなかで、恨みつらみを残して亡くなった方は一人もいません。人は誰しも、ハッピーに人生を終えたいと願っている。誰かに「ありがとう」と言って死にたい。ならば、あとはそう言えるような自分を作っていくだけ。その力は決して特別なものではなく、誰もが持っているのです。
私は「余命」という言葉があまり好きではありません。元気でなくなって以降は“余った”命なのかと。それは違う。死ぬまで誰かのために何かをしたい、何かを生み出したいと思っている方ばかりなのです。
どんなことがあっても、人には何かを生み出す力がある。亡くなった後も、次の人に種をまいて芽吹かせることができる。そのことを亡くなった方々に教えてもらったので、私は「セラピスト」の上に「バース(誕生)」という言葉を付けて名乗っています。希林さんにも、「バースという言葉はいいわね」と言っていただいたことがあります。
希林さんは私にとって2人めの母親のような方でした。希林さんだけでなく、ターミナルケアで深くかかわった方が亡くなったときは、もちろんすごく悲しいし、大泣きします。むしろ泣かなくなったら、こういうことにはもう携わらないほうがいいとも思っています。
とても悲しい。けれど、それだけではありません。多くの患者さんたちから、死は終わりではないと教えていただいたからです。個人の命には限りがあるけれど、命は接ぎ木のように次の方に渡すことができる。命のバトンをつなぐことができるのです。