食べられない孤独感

今回胃腸炎になる前、父親が食事が摂れなくなり緊急入院した。これは実家の夏の風物詩のような物で、父は夏になると必ず胃腸の調子を激しく崩し入院する。父も私も胃腸が極端に弱く、調子を崩すとあっという間に重症化する。親子でこんなところも似るなんて。

私も高齢になっても父のように体調を崩し続けるのかと思うと、本当に気が遠くなる。胃腸炎の苦しみは筆舌に尽くしがたい。そしてその後の胃カメラもトラウマになるレベルでキツいものがある。胃腸炎と検査のストレスか、数日激しい片頭痛が続いた。さらに今回も血液検査で引っかかり、再検査をするため大きい病院へ行ったところ、受付から会計まで4時間半かかった。ずっと座りっぱなしだったせいか今度はこれまた持病の腰痛が悪化、座っていられなくなり、整形外科に通院の毎日。2~3週間して治らなければMRIでヘルニアかどうかを調べるという。

すでに一連の検査などで医療費は数万円に達している。病気が病気を呼び、一体どこまでかさむかと恐ろしい。しかし、私は数か月に一回こういうあちこちが一気に悪くなることがあるので、少し慣れっこな部分もあるが、毎回とても疲弊する。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

こんな調子なので、20代になってから、常に胃腸の調子が悪い。もはやこれがデフォルトなのだ。困るのが会食。調子がよくなってから、なんて言っていたら、数か月後、いや数年後になるかもしれない。それに、ご飯を食べることそのものより、場を共にしてお話することが大事だと思っているから、食べられるものだけ食べるようにしている。

大学生の時、お金がないからと飲み会を断っていたら、2年間友達がほとんどできなかった。人間関係を築くには飲み会に参加することが欠かせないと痛感し、参加するようになって、一気に友達ができ、大学生活に彩が生まれた。居酒屋では冷ややっことうどんしか食べられなかったが、それでも食事の場を共にするだけで楽しかった。想像以上に、食事の場はコミュニケーションとして機能している。人と会うと、ちょっとお茶する、ランチをする、飲みに行くというように、ほとんどが飲食を伴うのだ。みんなが食べるものを食べられないがゆえに、私がいるだけで気を使わせてしまう、そう何度も思ったし、いつも自分だけ食べられない孤独感を味わう。

 

みんなが食べるものを食べられないがゆえの孤独感