何気ない優しさに救われる

忘れられない出来事がある。あるイベントに行ったとき、急遽打ち上げに誘われた。その時は胃腸の調子が特に悪かったが、話したい人もいたので参加した。その時同席した初対面の人が、私が食べられないと知って、「冷たい飲み物より、温かい飲み物がいいですか」と声をかけてくれた。円卓を囲んでいたが、みんなにお皿を配る時も、「とりあえずお皿だけ置きますね」とさりげなく声をかけてくれた。さらに帰り際、「ヒオカさんは食べられないのに私たちだけすみません。元気になったらおいしいものをたくさん食べてください」と言ってくれた。気を使わせて申し訳ないという気持ちにもちろんもなったが、なんというか、その優しさがとても沁みた。きっと普段から心配りができる人で、自然とそういう振る舞いができるのだと思う。

相手にその気はないにしても、私には、あなたの痛み、孤独をちゃんと分かっていますよ、知っていますよ、というメッセージにも感じられた。なんだか慰められたような気がしたのだ。

原因も分からない、終わりも見えない、自分でも呪いたくなるような、途方もなく長引く不調。この感覚は自分にしかわからなくて、ずっと我慢し続けるしかない。そう思っていた。だからこそ、何気ない優しさにとても救われる思いがしたのだ。

 

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