過去に食われてなんかやらない

生き抜くためには、むかむかの“もと”に向き合うしかない。そして、そのための方法を私はすでに知っていた。「書くこと」は、昔から私のそばにあった。

小学生の頃から、表に出せない感情を紙に書き殴って破り捨てていた。中学生の頃、唐突に書きたくなって原稿用紙200枚分の小説を書いたこともある。勉強の合間に隠れて書き溜めたそれは、後日あっさり母親に見つかって捨てられた。それでも、私は「読むこと」と「書くこと」だけはやめなかった。

写真提供◎photoAC

学校や市の図書館で本を読んでは、忘れられない一節を夢中で写経した。体内に刻みつけるみたいに、強い筆圧で、何度も。そのノートを持ち帰れば、「勉強以外に時間を使った」として折檻を受ける。だから、写経の際にはルーズリーフを使い、断腸の思いで処分した。保存できないとわかっていたから、はじめから“記憶するつもり”で書き写した。それらの記憶は、今でも私の脳内に保管されている。強制された試験のためだけの勉強は、ほとんど覚えていないというのに。

ジグロやバルサは、短槍で身を守り、大切な人の命をも救った。私には、槍は扱えない。でも、筆なら握れる。たとえベッドに横たわりながらでも、書くことならできる。

それまで無意識にやってきたこと、「自分の感情を書き残す」行為は、「むかむかの“もと”に向き合う」ためだったのかもしれない。バルサの言葉を胸に、私はその日から「書く時間」を増やした。書けば書くほど炙り出される内面に怯みながらも、手は止めなかった。止められなかった、と言った方が正しい。言葉にしたくともできなかった感情、叫びたくとも飲み込むしかなかった悲鳴、そういうものを書いては破り、書いては捨て、合間に本を読んだ。それは、過去との闘いであり、記憶との葛藤であった。食うか、食われるか。そんな切迫したせめぎ合いが、絶えず私の中で起きていた。

物語終盤、チャグムは人々の助けを得て、かろうじて一命を取り留める。皆が安堵した局面で、タンダが言った。

“「……食う、食われる。逃れる、とらえられる」”

“「当事者にとっては、この世でもっとも大切なことなのに、なんとまあ、あっけなく、ありふれたことか……。な」”

当事者の苦しみは、「可哀想に」の一言で呆気なく忘れられる。たとえ命を落としても、数日後には次のニュースに覆われてしまう。しかし、当事者はそうはいかない。逃げられない。「なかったこと」にはならない。気を抜けば食われる。だったらいっそ、こちらが食らう覚悟で敵(記憶)に向き合うしかない。

自分以外の幸福を妬んでも、得るものはない。不幸の数と幸福の数を勘定しても、増えるのは虚しさだけだ。残された選択肢は、自分が抱える問題に正面から向き合うこと。その覚悟を、バルサが私に教えてくれた。

今でも、記憶に食われそうになる夜はある。そのたびに、私はバルサを思い出す。タンダの優しさを、チャグムの勇敢さを、ジグロの実直さを思い出す。そうすると、少し呼吸が楽になる。

後遺症は重く、閉鎖病棟への入院は一度にとどまらなかった。その過程で、私は再び両親と接点を持つ。引き戻されるあの恐怖を、今でも体が覚えている。それでも私は記憶に立ち向かい続け、今日に至る。

バルサのように腹に気を溜め、両の目を見開く。過去を見据え、今ここにある意識だけに呼吸を集中してパソコンに向かう。食われてなんかやらない。私は、これまでずっと、そうやって書いてきた。物語という杭に、必死に捕まりながら。

※引用箇所は全て、上橋菜穂子氏著作『精霊の守り人』本文より引用しております。