死について語る会

臨教審では私の死学の提唱はほとんど注目を引かなかった。当時の文部省のお役人にも、そのことを理解していると思われる人に私は出会わなかった。死は人間がまともに年老いてからやってくるものとは決まっていない。

死は5歳でも、15歳でも、20歳でもやってくる。だから、人間が尊厳あるものとして存在しようとするなら、死は早くから、どんなに苦しかろうと学ばなければならないのである。

『今日も、私は生きている。: 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(著:曽野綾子/ポプラ社)

しかし私はいい加減な性格なので、一度提言してそれが受け入れられなければこれで自分の任務は終わり、と、かえってさばさばする癖があった。

死の教育が必要なら、役所がやらなくても、恐らく民間から湧(わ)き起こるようにその要求が出てくるだろう、と思っていたのである。それが最近、まさにその通りになってきた。

私は上智大学のアルフォンス・デーケン神父から、『生と死を語るセミナー』開催のための相談を受けたのである。

神父はそれ以前に、身内の死をみとらねばならない人々のために、どこかのホテルの部屋でも借りて、死について語る会を開きたい、と計画されたのだが、それはホテル側に部屋を貸すのを断られたことで断念しなければならなかった。

「**家・××家ご結婚式」と書かれた案内と「デーケン神父と死を語る会」という文字が並ぶと困るという日本的発想からだった。

神父は止むなく会場を上智大学に移し、そこで第1回の『生と死を語るセミナー』が5日にわたって開かれたのである。それは想像もつかない数の人を集めた。切符は1200枚も売れた。若い人の聴講希望者が多かったのも私には意外だった。

まだその頃は一部のカトリック系の学校でしか行われなかったことが、さまざまな都道府県やその他の文化団体、宗教団体の主催で、各地で真剣に、盛んに行われだしたようである。

そして日本における死学の創始者のデーケン神父は、講演の依頼で、健康が保つかと私が心配するほど働かねばならなかった。