「財テク」という言葉が流行
円高が進むと、海外で日本製品の値段が上がるため、輸出産業が大きな打撃を受けます。これによって「円高不況」が起こりました。
不況の対策のために日本銀行は公定歩合を引き下げました。公定歩合というのは日本銀行が民間の銀行に資金を貸し出す基準になっていた金利です。いまはこの制度はなくなりましたが。公定歩合が下がれば、一般の金融機関の金利も下がります。銀行から安い金利でお金を借りられるようになったため、企業は工場などに投資して経営を拡大することができました。
一方、円高になったことで輸入品の値段が大幅に下がりました。これによって消費が拡大し、景気は上向きました。
企業は安い金利で借りた資金を本業以外にも使うようになりました。「財産を増やすテクニック」という意味で「財テク」という言葉が流行しました。
大量の資金が向かったのは土地です。日本にはかつて「狭い日本では土地が限られているため、値下がりすることはない」という「土地神話」が信じられていました。土地ブームに火をつけたのが1985年5月、当時の国土庁が発表した「首都改造計画」です。
「東京では2000年までに超高層ビル250棟分のオフィスが必要になる」という内容が「東京の土地が足りなくなる」と解釈されました。もともとは首都機能の移転を促すための文章だったのですが、「いまのうちに買っておけば儲かる」ととらえた不動産会社や建設会社が土地を買い始めました。
さらに日本の好景気を逃すまいと、欧米の金融機関が一斉に日本に進出。都心の一等地でオフィスや従業員のための住宅を確保し始めたため、不動産価格が高騰しました。
土地の価格が上がるのを見て、不動産業界以外の企業も土地を購入するようになりました。銀行から低利で資金を借りることができたため、多くの企業が「財テク」に走ったのです。