その後もしばらくの間、入院治療が必要でしたが、そんなことで内科病棟でのケアは難しく、病院に併設されている老健の認知症専門フロアで治療を続行することになりました。
すると今度は、なぜここにいるのかと混乱し不安になる。自宅に帰らなければ自分のお金が減り、飢え死にする、と。「大丈夫よ」と説明すると、その瞬間は理解しても、次の瞬間には忘れてしまいます。
世間には、「家族を施設に入れる際は、よく説明して本人が納得してからにすべきだ」とか、「騙して連れていくから入居後精神的に不安定になるのだ」などとおっしゃる方もいますが、認知症で短期記憶が機能しない人には、そもそも説明、納得は一瞬のものに過ぎません。
今しかない──見つかった乳がん
老健は在宅復帰を前提とした施設なので、3ヵ月ごとに見直しをし、長くても1年程度しかいられません。そこで今しかない、とばかりに、自分自身の検診を受けました。
そのあたりの経緯はエッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』に詳しく書きましたが、4、5年前に甲状腺に腫瘍がみつかっていたのです。専門医への紹介状もあるのですが、目を離せない高齢者を抱えていると、検査に行くことなどできず放置していました。
それでこの機を逃さず、駒込の専門病院まで。11月半ば、12月、2018年1月と3回も針生検を行いましたが、結果は灰色で厳重経過観察ということになりました。
そうこうするうちに2月に入ってから、今度は乳頭からわずかに出血があり──検査の結果、乳がんと診断されました。そこから入院、手術と慌ただしく事が進み、命拾いしたわけです。
まだ薬は飲んでいますし、甲状腺腫瘍のほうはそのままですが、少なくともあのとき母が老健に入っていなければ、こんなところで暢気にインタビューなど受けていられなかったでしょう。
そうした事情も考慮していただけたのか、母は1年2ヵ月にわたって老健に置いてもらえたのですが、いつまでもというわけにもいきません。
母は2人部屋に入っていたのですが、同室の方が退所してたまたま1人になる期間があった。その間に部屋を自分のテリトリーと見なすようになってしまい、新たに入って来た方への攻撃行動が始まりました。今年1月に入って、同室の方に手を上げるという出来事もあり、ついに老健を退所することに。いよいよ本腰を入れて施設探しをしなくてはいけなくなりました。